『敵』
先に言っておくと、この映画はモノクロだ。白黒というよりはモノクロ。色があった気配がある。
大学教授も辞めて、今ある仕事は小さなエッセイ。それと1回10万と決めている講演会だけ。あとは貯金が減っていくのを眺めるだけ。貯金が無くなった時が、自分の終わりだと決めている老人が主人公の老後小説が原作。作者は筒井康隆。
筒井康隆はなにかと老人小説を書いているような気がする。介護だったりボケだったり死別だったり。まあ今年90歳だし、そこら辺の人よりも老人の時代が長いわけだから、書けるものはいくつもあるのだろう。敵だって今計算してみたら63歳の時点で発刊されている。当時だと定年退職の歳。思うこともあったのだろう。俺にはまだ余生のことは考えられない。腰と胃については考えられる。最近不調です。
そんな小説が原作だからか、映画で描かれるのは基本的に一人の老人の終わりある余生が描かれている。朝起きて、簡単なご飯を食べて、大学教授時代の教え子たちがたまに家にやってきてお世話してくれて、気の許せる友達とバーに行き、エッセイの仕事をして眠る。なんて良い生活なんだ。俺だってなりたい。
夢のような余生はしかし、小さな綻びからどんどんと崩れ去っていく。それは体調の不良からかもしれないし、預金が無くなったからかもしれないし、エッセイの仕事が終わってしまったからかもしれない。
人生を支えるのは余裕と張りである。最近無職を続ける才能がない話をTwitterでしたけど、余裕や張りさえあれば無職だって続けられる。当時の張りは毎日観ていた映画と小説書きだった。小説書いてるのに無職を名乗ってたんですか? そうだが?
余裕も張りも失い、預金が無くなったら死ねばいいなんて思想も続けられるような頭では無くなった人はじゃあどうなるか。新しい余裕と張りを探す。それがきっと、今回にいたっては、『敵』だったのだろう。俺はUber Eatsだった。
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