『アステロイド・シティ』

 全然関係ない話から始まるんだけど、映画が始まる前のCMで「映画館に行くまでも映画みたいな……」みたいなことを言ってるのを聞いて(うろ覚え)、俺はこういう人間にならないように気をつけないとな……という気持ちになった。映画館に行くまでにあるのは行き道でしかないだろ。

 ウェスアンダーソンを映画館で観たのはこれで二回目。去年『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(タイトルが長い)を見た以来だろうか。そもそもそれ以来の新作なんだから当たり前なんだけど。ところでウェスアンダーソン、結構作品を出す速度が速いのだろうか。こういう系の監督って時間がかかるイメージがあったりするのだが。

 さて、アステロイド・シティである。正確に言えば『アステロイド・シティ』という劇の制作である。あらすじは『アステロイド・シティ』のあらすじであり、この映画のあらすじではないんだって。嘘だろ……。

 『アステロイド・シティ』を制作し演じていく中で、彼らは一体この劇はどういうテーマなのか、俺がやっているこれは一体なんの意味なのか疑問に持ち始める。しかしその答えは「理解できなくてもいい」「分からなくてもいい」「続けるんだ」で通される。俺が演じている宇宙人は隠喩だ。なんのかは知らないけど。

 まあでもそういうもんというか、昨日ぐらいに見かけた京極夏彦の質問回答ブログじゃあないけれども、「書いてないから知らない」んですよ。こういうときに言われる隠喩とかテーマとか意味とかって「作劇的な意味」ではなくて「現実での意味」が強いじゃあないですか。例えば「主人公がメチャクチャに頭が悪い」というのがあったとして、それは一体どういう意味がと聞く人は「そっちの方が話を転がしやすい」っていう返事は待ってなくて、「これはつまりこういう意味で現代におけるなんとかであり~」みたいな返事を待っているじゃないですか。これはもしかしたら俺の被害妄想かもしれませんが。

 でもそういうものって単体じゃあないところがあるじゃないですか。きみが演じるキャラはこういう「現実での意味」があるを単体で喋ったところで、それがどう作用するかはやらないと分からないところもある。まずはやってみろよという話だし、感想は見終わった後にすればいいところあるじゃあないですか。好きなように見いだしてもいいし、パンフ読んで「へー」って思ってもいい。

 「目覚めたければ眠れ」というセリフではないけれども、夢の意味を知るためにはまず眠らないといけないんですよね。眠って夢を見て夢占いをして後は帰り道という現実が待ってます。

 君たちはどう生きるか夢占いを信じてもいいし適当に生きてもいいですよ。ところであなたはCGが安いのと綺麗なのどっちが好きですか。俺はちょっと安い方が好きです。なぜならそっちの方がフィクションくさい気がするからです

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