『RRR』

 INTERRRVALは途中にあるんだけど、日本ではそんなものお構いなしに上映は続く。長いので切った。というよりは、明らかに前後編で話が構成されているので、INTERRRVAL前提で映画を撮っていることが分かる。前提にするものなのかそれは。

 RRRがなんのRかは完璧に覚えているわけではないんだけど、FIREのRとWATERのRであることは覚えている。火と水。属性を表すもので作中でもたまにその演出をしてくるんだけど、どっちかっつうと火と火じゃない? 水の要素はどこにあるんだ? なんなら水も火を振り回してなかったか? とか考えている。制作陣もそう思っているのか、水の男は水に触れている歌が流れると、池の中から飛びだして戦う。水の男というのはそういうことでいいんですか。

 この映画を観てみると、『バーフバリ』は意図的に王を描き神話を書いていたのだな。と分かる気がする。今作の主人公ふたりは神話ではないから、憎きイギリス人を退治する際も泥臭く羽交い締めにし、犯人を捕まえるべく人の波を突き進めばボロボロになり、虎を捕まえる時も一苦労。バーフバリなら虎が目の前で跪く。

 じゃあ今作は神話ではないのか? と言われたらそうでもなく、バリバリバリバーフバリみたいに彼らを讃える歌が流れだした瞬間、彼らは英雄となり神話となる。そういう歌があるし、なんなら火の男はなんか神話の神みたいな格好になる。信じて送りだした男が帰ってきたらなんか布切れを肩からかけた神さまみたいな格好になっているのを見た革命軍、どういう気持ちで迎えたんだろう。うわっ! 神さまだ!

 EDでは実在のインド解放の英雄たちが、後光が拳銃の仏さまと共に姿を見せる。SAKAMOTO DAYSで見た。

 冗談はともかく、流れてくる曲も「抵抗しよう。銃を握ろう!」みたいな、言い方は悪いがテコンダー朴みたいな歌詞で、果たしてこれがプロパガンダ的なやつなのか、それとも、そういう題材が好かれているのかは海の向こうの話なのでよく分からない。まあ、もしかしたらこの映画は『桃太郎の海鷲』とか『桃太郎 海の神兵』みたいなものなのかもしれない。だからなんだ。単にエンタメとして摂取するのはよろしくないのかと言われそうだが、ナチスをフリー素材として扱っているようなもんだろうから、そこまで気にする程のことでもないのではないでしょうか。気にするなとも言わんけど。

サメとゾンビと空伏空人

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