映画『シンデレラ amazon prime(2021)』
すげえ関係ない話から始まるんだけど、こういう「現代の価値観にアップデートしちゃうぜ!」っていう映画、なんでまあまあラッパーみたいな口の悪さがあるんだろう。現代の価値観はラッパーなの?
現代価値観アップデートシンデレラである。シンデレラが自らの力で夢を切り開いていく強い女になっている。いや、よくよく考えたらなってないな。
というのも、シンデレラ(エラだよ。覚えてねって言ってたので、これからはエラと記述する)は自分のドレスのお店をつくりたい! と息むものの、「女は店を持てない、商売人になれない」という慣習のせいで夢を叶えられない存在として描かれているんだけど、その願いの叶え方が
①魔法使いが魔法でドレスをつくってくれた
②それを見た別の国の女王が普通に雇おうかしらって言ってくる
③雇ってくれた
なのである。慣習を打ち破ることもなく、なんなら普通に雇ってくれるので「あ。慣習別に関係ないやな」ってなる。多分、普通に土地持ってる人にお金渡して「ここにお店建てたいんですけど」って言ったら、お店建てれたんじゃない? って思う。
まあ一応、その魔法使いがつくったドレスはエラがデザインしたものなので、彼女がつくったと言っても過言ではないのかもしれないけれども(いや過言か?)(君のデザイン通りに仕立てよう! って言われたら、私が仕立てるの! って言ってたしなぁ……)、どうにも「彼女自身が切り開いた」とは言い難い状況になっていて、シンデレラがよく言われている「魔法でどうにかしてるだけで彼女自身なにもしてねえじゃん!」って批判がより強くなっている印象がある。
敬愛する西尾維新の美少年探偵団では、イジワルな継母のもとで頑張ってた彼女が報われない方がどうかしている。という意見があったが、本作においてイジワルな継母がしていたのは紅茶を入れさせてたぐらいだし、なんならイジワルな義姉たちはもはやイジワルですらなく、めっちゃ普通に花嫁修業頑張って、舞踏会で良い人を見つけてやるんだといき巻き、作法の練習もしていて、イジワルな継母が唯一したイジワルである紅茶批判では「厳しいすぎない?」と独りごち、エラのつくったドレスが汚されたときは(なんてこと……!)みたいなドン引きの表情を浮かべていたので、かなり良い人であると伺える。多分エラよりも彼女たちと結婚した方が幸せそうな気がする。ちゃんとハイヒールで姿勢正しく歩く練習をしていた義姉と、歩けなかったけど魔法で補助してもらったエラ。どっちが報われるべきなのでしょう……。
なんというか、本作においての強さが「王さま謁見の際、よく見えないから王さまの像の上に座って眺めて、それを咎められたら軽口を叩く」とか、急に「火力発電よりエコな風力発電ってのを考えたんだけど!」って言ってくるだったり(袋を有料にしそうなやつだな)、全体的に範馬勇次郎がドレスコードについて説教を始めそうな、ヒッピー的強者になっていて、俺はこの強さはあんまりっていうか、我が強いだけなのでは? という感じだった。
とある思想のもと書かれているのは分かるんだけど、その思想のつめが甘いのではないか? そんな気もする映画だった。
ところで、この映画、ネズミのことを「小汚い」と表現していて、『新しい価値観の映画』として描いているのにそこはそうなんだ……。という残念点もある。小汚いのは事実だから仕方ないね
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