映画『プラットフォーム』

 うおおおおーーーー!! 社会問題を取り扱ってやるぜーーーーーー!! という気概はひしひしと伝わる『プラットフォーム』。多分、世界中の皆に分けられるほど食料はこの世界には残ってなくて、限りある食料は上層(富裕層)が貪って、下層(貧困層)は残された残飯をしゃぶるしかできず、なんならありつくことさえできず人間性も失っていくのだとかなんだとか、そういう社会問題をやりたいぜ! ということが直接そのまま舞台設定になっている。よく分からない謎の施設。上からエレベーターに乗ってやってくる大量の料理。それはぐんぐんと下にまで送られるけれども、補給なんてされないからみんなが食べた分、料理は減っていって、下の階層の人は食事すらできずに、同居している人間を食べるか餓死しないことを祈りながら部屋替えまで耐えることを強いられる。部屋替えは完全に運。そう、食事にありつけるような国や環境に産まれるのは、完全に運なのだから。ご飯にありつけるのは運が良いだけで、ご飯にありつけないのは運が悪いだけ。

 というのが言いたいのはなんとなく分かるんだけど(これで間違ってたら恥ずかしいですね)、それが言いたいぜ! という気持ちだけでシチュエーションスリラーを形成していて、結局物語的オチをなにも考えていなかったタイプの映画になってしまっている。『この先は観た人の想像に任せる』というのはけして『物語のオチを放棄する』ということではないのだ。ということを、たまに忘れているシチュエーションスリラーはあって、これもその中のひとつになってしまっていると思う。

 『CUBE』は『謎の施設で、なんかよく分からないけど、死にそうな目にあうシチュエーションスリラー』で、ちゃんと『脱出』というオチはあって、外の世界で脱出した彼らはどうなるか。を想像に任せているのであって。

 『トゥルーマン・ショー』は『番組施設からの脱出を目論むシチュエーションSF』で、ちゃんと『脱出』というオチがあって、トゥルーマンが脱出したその先は想像に任されて、なおかつ人は興味なさそうにリモコンでチャンネルを変えるわけで。

 やっぱこう、オチは欲しいよね。その子はどうして伝言たりうるのか、どうして主人公は降りないといけないのか。バーサーカーミハルはなんだったのか。色々教えて欲しい。そんな感じの映画。

サメとゾンビと空伏空人

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