映画『神は死んだのか』

 ああ、なるほど。神を「自由意志と道徳的精神」と捉えることで、「神さまが私を通してきみに言っている」は「私はこう言うべきだと思ったんだ」になるんだなぁ。自分の中の善性(果たしてそれが『善』であるかは置いといて)の話なんだなぁ。と良い映画じゃあないかと思ったんだ。最後の十分までは。急に知らない宗教が制作したプロパガンダ映画みたいになったからめっちゃビックリしたよ。死にたくないって言ってるおじさんに「神を信じるか?」じゃあないんだよ。せめて「なにか伝えたいことは?」だろう。死の間際に信者を増やそうとするな。

 そんなわけで『神は死んだのか』。大学の哲学の授業、教授が無神論者で、授業の前に『神は死んだ』と書いてね。と言ったらクリスチャン大激怒。神は死んでないことを証明するために、教授とのディスカッションを行うことになる。という映画。

 最初の方は「『神』というものの定義」とか「無神論ではなく反神論」とか、まあなんというか「システムとしての神」というか「この世界に漫然と存在する流れ(例えば進化とか、誕生とか。)を説明するための仮定」としての会話を続けていて、ああ。面白いなあと思ってた(この時点で「『神は死んだ?』あんたが好きな天才は『哲学は死んだ』って言ってたぞ」みたいな、売り言葉に買い言葉めいた論議も発生していたけれども)。

 そして最終地点として「自由意志」と「道徳的精神」を神と例えた。というところに着地して、ああ、良い映画だなあ。としみじみしていたところで急に神が『漫然と頭の中にある己の信心』から『実際に存在していて自分たちを見下ろしている固有体』に姿を変貌させてから、全ての物語が狂い始める。神さまを否定したものには罰が下り、神さまを信じるものは英雄となる。世界は神さまを信じる心に満ちあふれて、全員が固有の一体を祀るようになる。途中にあった「親の信じている宗教とは違う宗教を信仰している娘」の話も、自由意志の話かと思っていたけれども、この流れだと『悪から目を覚ました善なる信徒の話』に変わってしまって、思わず声をあげてしまった。そして最後の一枚に至っては「お前それただやられてムカついただけだろ」みたいな部分がすごい見えて、悲しくなってしまった。本当に、最後の十分までは良かったんだ。「☆5つけちゃうーーーーー!!!!!」って思ってたんだ。理想の彼女と付き合うようになった三回目のデートで壺を買わされたみたいな気分だぜ……。ちなみに俺は有神論か無神論かで言えば、まあまあ有神論寄りである。でも宗教を信じているわけではない。だってそれは、自分の考えではなく、誰かの入れ知恵だから。神はいるのではなく、漫然とあると思っている。

サメとゾンビと空伏空人

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