ローマ法王の休日
む。この邦題、恐らく原題となんら関係ないなシリーズ(原題はHABEMUS PAPAM。ラテン語で『法王を得たり!』とかそういう意味らしい)。
確かローマ法王が来日した2019年に「法王」呼びから「教皇」呼びに固定されたはずだけれども、この映画は2011年制作なので、その限りではない。
前教皇がお亡くなりになったので、新しい教皇を選ぶ投票が行われて選ばれた新教皇がイヤだー! って鬱になって逃げちゃう話。108人いる枢機卿のうち、三分の二の票を得ることで教皇になれるらしいね。衆議院の再議決みてえだ。
三分の二を獲得できなかったら何度も何度も投票をやり直す。約11億だか12億だかいるらしいカトリックのトップになんてなりたくないから、開票されるたびに絶対投票が偏るよなこれ。「さっきあの人多かったからあいつ狙って教皇にしようぜ」って絶対影で言ってる。
教皇逃走! ってニュースが流れるかと思えば、「教皇が発表が済むまでは外部にでることも、情報を漏らすことも厳禁」なので、「逃走した」という話をだすこともできない。
全体的に「すっげー昔から存在するなんかよくわかんねえルール」に縛られている(導かれている)ままなバチカンの構造が悲しい感じのコメディだったね。おじいちゃん普通に鬱になってるんだから、辞退も許してあげなよ。イヤだよトップが鬱なのもそれはそれで。神さまが選んだから変えられない? しょうがないか……。
映画の途中にある謎のバチカン内で行われたバレー大会も、「カトリックじゃない人」が外部に出れないからこそ、新しい風となって、内部改造を施した結果であると言えて、反対した1人を産みだせた。と考えれるんだけど(それはそれとして、なんでバレー?)、やっぱり人間、「導く」より「導かれる」側でいたいよ。そこに道があるのなら、自分にとって不都合ではない(このルールがある限り、11億人のトップにならないで済む)のなら、このままがいいさ……。となり、最後のおじいちゃんの悲しい演説が生まれるのだろう。悲しいな。おじいちゃん。
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