書きたい小説についてとか

 編集さんとの打ち合わせが終了した。もちろん、その直後にこのブログを書いているわけではない。こことここを直して、ここにこういう感じの足しましょう。みたいな真面目な話をした後に、まさか『原稿』と向き合わずにこうして息抜きの文章を書くというのは、やはり作家としてどうかと思うからだ。

 だからこのブログを書いているのは、その翌日、あるいは翌々日だ。

 打ち合わせの後ではない。打ち合わせの後はアニメを見ていた。ゾンビランドサガとジョジョを見ていた。打ち合わせのときにゾンビランドサガとジョジョの話をした編集さんが悪い。

 さて。つまるところ。

 僕は小説を書かないといけない。

 しかし困ったことに、実は僕は、ここ一、二週間ほど小説を書いていないのである。

 理由としてはバイトが忙しかったとかゲームが忙しかったや映画を見るのが忙しかったなど、真面目な理由が枚挙にいとがまなく、しょうがないな。と僕自身思っているのだが、問題が起きてしまった。

 文章を書けなくなってしまったのである。

 正確に言うなら「文章を書くためにパソコンを起動したつもりが、PS4がうぃーん。と音を立てて、レインボーシックスシージを起動している」が正しい。爪楊枝なめてGUマインを投げているのである。

 これではいけない。僕は初めて〆切を伸ばしてもらうために編集さんに連絡をしないといけないかもしれない。ゲームしたいのでちょっと伸ばしてくださいを許してくれる人は果たして存在するのだろうか。

 そんなわけで、リハビリがてら、僕はこうしてブログを書くことにしたわけである。

 無論、ブログの文章と小説の文章は違う。

 ブログだったらもっとこう「小説が書けなくなった! その場合の原因と対処法を調べてみました!」とか書くべきだし、「調査中ですがトマトを食べるといいかもしれませんね!」みたいなソースのはっきりしない情報を書いてあるべきだし、最後の方にはよく分からない商品の宣伝が入っているべきである。

 しかし今回の目的は『小説のリハビリ』である。

 つまるところ、小説的な文章でないといけない。

 そんなわけで僕は今回、小説を書く体で、ブログを書くことにした。

 一人称小説だ。

 僕の書く一人称小説は大体一人称は『僕』だ。

 理由は『僕』の方がなんか小説っぽい。というのと、西尾維新の一人称大体『僕』。あるいは、神聖かまってちゃんの楽曲の一人称大体『僕』。というのがある。


***


 小説のリハビリとは銘打ったものの。

 じゃあここで小説を書くかと言えばそうでもなく――もちろん、そういうことも今度したいとは思っている――内容はいたって普通のブログだ。

 いつものように、小説の紹介。

 今回は『こういうの書いてみたいんだよなあ』という小説の紹介。

 小説家には得てして『書きたいもの』が存在する。同時に『書けるもの』も存在し『書くことができるもの』も存在する。

 『書くことができるもの』というのは商業的な話なのでここでは除外して、『書きたいもの』と『書けるもの』は重なっているときもあるし、重なっていないときもある。

 今回話す小説は、重なっていない方の――つまり、こういうの書きたいけど書けないんだろうなあって感じのやつ。


『ヤギより上、猿より下』(平山夢明)

 『火傷の豚の尻』の方がまだマシだと言われるブスでお馬鹿な女の子、おかずが『ホーカーズ・ネスト《淫売の巣》』に売られるところから話は始まる。

 あっさりと纏めてしまえば『目をひん剥くような必殺技を持っている年齢を重ねて太っていて筋肉モリモリな売れない淫売たちに怒ったオババがヤギと猿で一発逆転を狙ったら猿がまさかの満塁サヨナラホームランを放ってしまったのだが問題が発生してしまったため、淫売が必殺技で対抗する』みたいな小説である。ちなみに必殺技にはきちんと名前が存在する(『睾丸チューニング』『天城越え』『海綿ムニエル』あと禁術の『マラカイボの灯台』)。大体男が死ぬ。

 表紙のなんとも言えない剽軽さと軽薄さが小説にもあり、良質なB級の匂いがぷんぷんする短編だ。

 その一つ前の短編――『陽気な蠅は二度、蛆を踏む』が『おいおい泣く目ん玉くりぬきたくなるような悲しい話』であったが故に、涙を返せ! ってなるのだが、その感じを是非味わってほしい。


『魔女の子供はやってこない』(矢部嵩)

 幸せは歩いてこないし、地獄も歩いてこない。

 幸せになるのも地獄に行くのも、自分から向かっていかないとならない。

 とどのつまり、幸せと地獄は同意義なのではなかろうか。それはきっと間違った意見である。

 しかし彼女に花束を贈ったとしても、彼女の顔面を思いっきり殴って罵ったとしても、彼女はきっと、僕を忘れないでいてくれるだろう。覚えていてくれるだろう。

 僕らは悪い子だ。

 天国に行くような子ではないのは確かだ。

 それをゆめゆめ忘れないように。

 過去を改竄して推敲してしまっては、大切でもないことも、大切なことも、守れなくなってしまうだろうから。

 キャンディーをたくさん口の中に含んで吐き気を催そう。そんな感じのキュートなホラー。


『ざるそば(かわいい)』(つちせ八十八)

 タイトルの横に英題があるのはままある。

 これの場合は『zarusoba 〔cute〕』である。

 『公園で高校生たちが遊ぶだけ』の英題『High School Student Play in Park』の次ぐらいに、わざわざ書くほどかこれって感じで気に入っている。すげえ、まんまだ!

 今書いている小説の一人称は、地の文で感嘆符を使うことはまずない。

 リハビリなのに若干失敗している。


『乱歩城 人間椅子の国』(黒史郎)

 実は。と。

 前置きをするほどでもないような気もするが――現代社会を生きる若者であるのなら、そういう人が多いとは思うのだけれども、僕は江戸川乱歩を読んだことがない。

 まあ古いからね。と返答してくる人もいるし、空ちゃん読んでなかったんだ。と返答する人もいる。僕は大体、読んでそう、見てそう。と思われているものを読んでいないし見てもいない。なにせ、本を読み始めたのもつい最近のことだし、読み始めたばかりは西尾維新と刃牙ばかり読んでいたからである。あとジョジョ。ブックオフに結構並んでいた。

 大学生になりバイトができるようになってから本をかき集めるようになったので、本読み歴は実は三年ぐらいだ。

 江戸川乱歩という作家は、なんというか、シャーロックホームズに似ている。

 シャーロックホームズが出てくる小説――コナンドイルが書いた60篇の長短編は読んだことはないが、シャーロックホームズが出てくる小説は読んだことがある。

 最近ではFGOでビームを放ったりしているように、シャーロックホームズは本編以外、コナンドイル作品以外にも登場するようなキャラクターとなった。模倣、あるいはパロディ、あるいはオマージュされている。

 江戸川乱歩もそういう点ではシャーロックホームズと同じだと言えるだろう。なんなら、本人美少年化しているぐらいだし。

 この小説は『江戸川乱歩作品』をオマージュしている。章タイトル(『屋根裏にも散歩者』『白昼夢の嫐《ものたち》』『鏡地獄の迷館』『異の虫』『うつつなしの恋』)や副題(『人間椅子の国』)から見ても分かるだろう。なに澄ました顔で本を読んでるんだお前。

 この小説において江戸川乱歩作品は『変態小説』として書かれている。そういえば大槻ケンヂも江戸川乱歩小説を変態的だと言っていたような気がする。どのエッセイで話していたかは思いだせないので、もしかしたら間違っているかもしれない。あとで読み直す。

 江戸川乱歩が『変態』なのだとすれば、私は早く読まなくてはいけないのかもしれない。

 そう思って人間椅子を買ったのだがまだ読んでいない。

 読むのはいつになるだろう。

 読む順番は、買った順ではなく、気分で決めている。

 多分いつか、変態が読みたい気分になるだろう。


 そんなわけで四作品。

 僕は多分、いつか『変態』と『気持ち悪い』を書きたいと思っているのだろう。

 『気持ち悪い』は書かせてもらえているので、『変態』を書かせてくれるところを探している。きちんと可愛い女の子も出すので許してもらえるはずだ。

サメとゾンビと空伏空人

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