『すずめの戸締まり』

 大臣っぽいからダイジンと猫が名付けられるが、どこが大臣っぽいのかさっぱり分からないところから俺はもしかしたらこの映画を楽しめないかもしれない。そんな気持ちになりながら見始めた本作。ちょっとワクワクしながら、しかし怯えもしながら、なんというか、新馬戦からずっと勝ち続けていた馬が重賞に躍り出てきた時みたいな、そんな気持ちで見に行ったすずめの戸締まり。ガイアフォースは8着だったが、すずめはヤマニンゼストぐらいの気持ちがある。6着。掲示板外だが評価はできる。ぐらいのところ。だから3.5点をつけたところがある。
 おかえりやただいまを言える場所とかなんかそういうメタファーなんだろうな。という気はするし、なんならセリフにもなっていたような記憶があるが、扉の鍵を閉めてからおかえりやただいまや行ってきますを言うのか。鍵をかけるということはその先には誰もいないのではなかろうか。じゃあこれは死者との決別なのだろうか。だとするとおかえりやただいまはなんなのか。ふたつの異なる意味を扉につけてしまってはいないか。そもそも『廃墟に現れる扉からミミズが出てきて地震を起こす』というのならば、その廃墟はどうして生まれたのだろうか。もし仮にそれも災害によるものだったら、廃墟は廃墟である前からそこに扉があり災害を起こしていることになり、廃墟でなくとも普通に扉はあるし、廃墟でないと扉がでないのであれば、閉じた扉以外にも扉があるのではなかろうか。

 重箱の隅だと言われたらそこまでだが、重箱の隅みたいな設定ばっかなんだからしょうがないじゃん。隅の方にぎゅうぎゅうに色んな設定や要素があるが、真ん中の方にあるのは「安心や成長。生きたいという気持ち、命の尊さ」みたいな安直なものがふんわりと置かれている。東北の地震すらこの映画の中ではわりと重箱の隅設定だと思う。ロードムービーなので、古今東西色んなところで地震とでくわすからだ。でも地震はすずめが止めるのでディザスター的な快感はない。そんなものはいらないでしょこの映画に。でもモブの命が助かったところで「そもそもなにも起きてない」から、そもそもフィクションにおいて命が軽いモブの救命感はひどく薄い。きっと彼らのうち何十万人が死んでも俺たちの心は痛まない。だって『君の名は。』で死んだ村の住人のことなんて頭にはなく、あったのはネームドキャラたちの生死だけだったのだから。そもそも東北の地震を扱っている映画なんてものはもう既に多くある。Wikipediaには41作品あるよって言われる。だから本当はもっとあるだろう。『遺体 明日への十日間』があって最近だと『Fukushima50.』があって、言い方は悪いが既に手垢はついてる話で、だから「お、現実の震災を題材にしてるね。加点!」とはできなくない? じゃあ水害の方は良かったのかよ。とはなりませんか。天気の子は現代の水害を反映してるので加点とかしませんか。隕石はどうだろう……いや、まあ……いるかもしれないけど……。これは俺の偏見だけど現実を反映したら皆得点足してくれますね。優しいよ。まあだから? だからってわけではないけど、加点方式で見ると特に加点するところがないんだ。この映画。神木隆之介が声を担当してたメガネは加点なので3.5。良いキャラでしたね。ソウタより。

 重箱の隅が多いが、隅の設定はそれを支えてるかと言えば、さして支えていない。なにせ災害で死んだ母親(CV花澤香菜)がつくった椅子。という設定がまず使われることがないのだから。あれなんだったの? というか、あれは「椅子に成った」の? 「椅子に変身した」の? すずめちゃん、対して椅子を大事にしてる様子もなかったから、後者かもしれない。彼女はその時点で克服して成長している。克服して成長している人間の成長の話ってなにをすればいいんだろうね。

サメとゾンビと空伏空人

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